2013年5月26日日曜日

追い打ちをかける教授


2009年12月中旬から下旬
Aは浪江に戻ったがいまだ自殺願望は衰えずに戻った晩にまたワインとウィスキーを飲み前と同じ方法で低体温症にもっていこうとしたが失敗し、その翌日朝を迎えた。
まだ自殺願望は衰えずに東京に帰る日に電車で逆方向の仙台へ行き乗り換えて山形方向の宮城と山形の県境の近くの無人駅で降りた。雪が降り積もった日だった。その駅から歩いて川のほとりにある小屋のようなところで薄着になって凍死しようとした。しかし、いつまでたっても死にきれないために駅に戻り浪江の手前の原町駅まで戻った。そこまで父に迎えに来てもらい浪江に帰った。
その数日後、東京へ帰ったが、その晩にまたコンビニに行き、ウィスキーを買い今度こそ低体温症になろうとしたが失敗した。友人O君が心配して来てくれたがちょうど泥酔してわめいていた時だった。その時の記憶はうっすら残っている。翌朝、目が覚めるとO君も隣で寝ていた。
その数日後に研究室のK先輩が心配して部屋に来てくれた。死にたいと正直に言った。
最初は外に出れなかったため夕食を買ってきてくれた。次に何回か来てくれた日は一緒に外へ食事をとりに行った。それを何回か繰り返し、SMと会って話すように説得された。


2009年12月24日または25日
SMとK先輩と駒込で話すことになった。AはあまりSMと会いたくなかったが、先輩Kさんの勧めで昼過ぎに駒込の喫茶店で会うことにした。SMとAが会った瞬間、SMは持ってきたカレンダーでAを軽くどついた。普通の状態だったら全くたいしたことではないが、その時の自分にとってはとても苦痛なことだった。
Aは精神状態や問題などをその時の精神状態でできる限り話そうと紙に今までのいきさつを書いてもってきたが、SMは話を聞こうとしなかったばかりか、大きな×印をつけて、ゆっくり気長にという言葉を書いた。

そこでSMはAに、
「過去は忘れなさい。反省はしていけない。ゆっくり構えていればいい」
「うつ病は原因が分からない。ずっと医者と話していてある時、原因が分かってくるもので、今は原因探しはやめて、昔のことは考えないで、ゆっくりのんきに過ごせばいい。」
「うつ病の時は正しい判断はできない。悪いようにはしないから。就職に関しては大船に乗ったような気持ちで私に任せなさい。ま、Aを雇う会社はあるかどうか分からないが。研究に関してはKM先輩に従ってやりなさい。」
「学生の本分は研究だ。」
とアドバイス・指導のようなことを言っていたが、同時にAを侮辱しているようにも感じた。
また、SM自身もうつ病になったと研究室はじめ多くの場で言っていて、その症状や状況がどんなものか個人差があれどある程度察することはできるはずなのに、Aに対してそれをくんだような対応は皆無に等しいと言ってもいいのではないか。逆にそれでも罵倒することを言ったりしていた。後で心配しています、と言われても後の祭りである。


また、研究室で坂本先生の写真大会があり、TAくんが撮った、Aがオランダでシンガポール人の留学生Tと一緒にいる写真を出したそうで、それについても、研究室で話題になったみたいなことを言っていた。
また、
「好きな女の子のタイプでも考えていた方がいい。」
というようなことを言った。
少しでも明るい話題を話した方がいいと思っていたのかもしれないが、個人的なことにつっこんでくるそののりはどうなのかと正直不快だった。

また、
「うつ病は心の風、持病をもつようなものだ」
と言っていたが、風邪でこんなにひどくはならないと思った。あれは医療業界が鬱病は誰でもなりうる病気だから気軽に早めに医者にかかってほしいという宣伝文句で、あまりにも簡単にたとえ過ぎていると思った。

また、就職に関しては、
「親を選べないように上司は選べない。仕事は一緒にしている人で大きく変わる。嫌な奴と仕事しても楽しくないだろう。」
「こんなことで悩むAには海外では仕事、生活ができない」
「学生に社会を見る力はない。」
というようなことも言った。


その後、研究室に久々に行くことになった。SMとK先輩が今、行った方がいいとなかば強引に連れて行った。
タクシーで向かう時に、SMは、
「ホームレスになるよりはましだろう」
というようなことを言った記憶がある。
自分はこのまま行くとホームレスになるのではないかと内心恐怖に思っていたので、こう言われてますます怖くなった。


研究室の周りの対応はなんだか冷たく感じられ、ますます疎外されているような感じだった。

その晩に研究室に残っていたF准教授や秘書の方、学生などを集めて食事に行った。そこでSMはAの精神状態を隠してくれたが、
「昔同じ研究室にいたI教授も学生のころは何を考えているのか、何をやっているか分からないような学生だったが、就職して今では立派な研究者だ」
という内容のことを言っていた。Aを励ますために言ったのだろうが、どんなにできないやつでも、なんとかなるもんだ、という感じで言っているように感じ、自分はやっぱりできない者、怠け者なのだと感じた。

そして、SMF先生がいる場で、
Aの食事代はF先生が持ってくれるそうだ」
という内容の言葉を何回か言った。しかしF先生は聞いていなかったようで、えっと困惑した感じだった。
結局SMAの食事代を支払うことになったが、恩着せがましい感じだった。ポイントも他の人の全員分をちゃっかりいれていた。
SMは翌週に研究の打ち合わせのために研究室に来るようにAに言ったが、もはや行ける気力は残っておらず、Aはアパートで一人過ごすことになった。行けたら研究室に行きたい、行った方がいいということは分かっていたが、精神的にできなかった。


SMやKF先生、先輩のKさんは年末から何回かメールをくれた。
こんなにダメになった自分にあたたかい言葉をかけてくれる、見守ってくれる人がいてありがたいと思うと同時に、どうすることもできない自分がどうしても許せなかった。

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