2013年5月26日日曜日

事件が発覚するが教授の対応は・・・


この事件発覚の前か後か、このあたりにSMは研究室で開かれた宇宙建築研究会で、Aに
「この研究会、もうやめたいね。」
のような内容をさりげなく言ってきた。この時にすでにSMはASの詐称などの事実を知っていたのではないだろうか。
また、宇宙建築研究会への参加をAが知る限りでは2009年以降、この時期以前からキャンセルしたり出ても途中で帰ったり、途中から来たりという回が多かった。


研究室にも疑惑に関して記者やメールが来るようになった。しかし、SMは無視するようにと学生に言うだけで、適切な対処をしたかどうか疑問である。少なくともASに関係のある学生(FN含め)には何ら注意や指導をしなかった。本当だったら自ら疑惑を調べ、疑惑に気付いた時点で何か対策をするべきである。そうすればこれほど大きな問題にはならなかったはずである。被害拡大を無視、または責任を放棄している。それは自分が自ら犯した過ちが発端になっていると気づいていたからではないか。


ドイツで知り合った学生3人とその友人の計5人で新宿で会うことになった。その日はやっとの思いでそこに行くことができた。そのうちの二人と翌日に浅草で待ち合わせして浅草見物をしようと約束した。しかし、当日二人は来なかった。電話も通じなかった。その時、一気に精神がまいり、とても強い自暴自棄、自己嫌悪になり、大学に帰るために地下鉄に乗ろうとしたが、その時、列車に飛び込んで自殺しようと体が動いていた。もうちょっと本気になっていたら、その時に確実に死んでいたかもしれない。


イタリア人で二回研究室に研究調査で来たことがあるVC氏と2011年にFNがこの問題について連絡を取っていたときに聞いた話では、台湾人の研究室のメンバーCさんが言っていたことで、SMは学生たちに研究室で何があったのかなど他の人に言わないように口止めしたらしい。
このVC氏は研究をするために東大に再び来て仕事をしたいと考えていたらしいが、ASの一件がありそれが叶わず今はイタリアで仕事をしているらしい。


精神的に滅入ってしまい、研究室の先輩や同輩後輩たちともなかなか会話ができなくなる。悪循環が続き徐々に学校にも来にくくなる。

友人のKO君に一人じゃアパートにいるのが怖いから来てくれと助けを求めた事がある。それほどいつも恐怖でいっぱいだった。


2009年秋か冬あたりから
ずっと、自分は精神年齢が中学生以下だ、だから人を傷つけ、失敗ばかりしてきたのだと思いつめていた。


SMと学生何人かで昼食に行った時(F先生とKさんと行った時かもしれない)
SMはAに
「彼女でも作れ。S(ドイツ人留学生)が好きなんだろう。Uが言ってたぞ。」
という内容のことを言った。SMに悪気はなかったのかもしれないが、プライベートなことに土足で踏み込まれるのは昔から好きでなかったのもあるが、この言葉はAにとって非常に不快だった。精神状態が悪かったのでなおさら嫌だった。


A、DF君、U君、TA君がバルコニーで話をしていると、SMが煙草を吸いに来た。そこで、就職や研究の話になった。SMはFNが研究テーマを変えようかと思っていると相談すると、ころころ変えるな、まじめにやれ、一つにしぼってやれ、というような自己の行いと矛盾するアドバイスのようなことを言った。
「一ヶ月間、就職のことは忘れて研究だけを考えて、データをまとめるなりなんなりびしっとまとめて来い。一ヶ月間テーマは変えるな。学生の本分は研究だ。」
というような発言をした。

そしてみなに向かって
「でも一ヶ月後にまたテーマ変えそうで怖いよね。(笑)」

また、就職に関しては
「Kが『最近Aに就職に関して質問されて疲れます。助けてください。』というメールが来たぞ。」
「建設業が危ないとかマイナスのことは言わないでくれる?(怒)。」
「Aは人の話を鵜呑みにするのか」
というようなことも言った。

しかし、2009年春のSM本人の授業で自分で建設業界は未来がない。ITとか他の業界を考えた方がいいなどと自分で言っていた。SMは就職担当だったので、社会情勢や建築業界のことを色々と考えていたのだと思うが、矛盾しているように感じられ、特に精神状態が悪くなっていたAにとっては混乱をひどくさせるものだった。


11月頃にF先生に研究や進路の事で相談した時に、
SMは大きな人物だから安心してなんでも相談した方がいいとアドバイスしてもらった記憶がある。
他の先輩も前に話していた時にSMは大きな人物で貫禄があると話していた。
その話を聞いた当時はそのような先生に巡り会えて本当に良かったと思った。
もう精神が混乱しすぎていて正しく人を判断することもできなくなっていた。


同級生の共同研究室のDF君の話によると、SMは「ASの経歴の半分が本当だったらすごいことだよね」というような内容をみなに向かって語っていたらしい。

この頃(10月か11月)、自宅で包丁を腹やのどにあてがい死にたいと思い始める。また、電気コンセントに何かを挿し込んで電流で死ねないかと思ったり、自殺できる方法を知るために頻繁に自殺サイトを見るようになる。
2009年秋からこのような状態がずっと続いていた。

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