2013年5月26日日曜日

大学との話し合いに動き出す


2012年1月28日
SMから手紙が来た。アランの幸福論を読んでそれを参考にしているとあった。
休学届を出す時期にはSMから毎回短い手紙が来るがどれも社交辞令的な事務的な感じを受けた。大学で何があったのかなどは毎回何も書かれていなかった。

この時の休学届け(2012年4月から9月までの休学期間)は医者からの診断書をもらえたので病気という理由になったが、今まで出してきた休学届けは医者に行くことすらできなかったので診断書がなく、診断書が出せないと経済的理由でしか出せないと研究室側から書かれていた。本当は病気のために休学しているのになぜ経済的理由にしなければならないのかと、正直、納得できなかった。


2012年7月
ふとネットで調べていたら、大学がSMのことを処分する旨の発表を2012年2月に行っていた事を知った。
大学側から自分や研究室の他の学生宛に大学での事件について何があったか、どうしたか、などが若干書かれた手紙が2010年秋に来たらしいが、当時はとても見ることもできなかったので、開封したのは2011年2月か3月だった。この手紙には、この一件によりSM教授が学生を指導することができなくなったため研究室を変えてほしいとの内容が書いてあった。

Aがその人生の中で、人を殺したいと思った事は何度かあったが、いずれもその時の衝動的な一時の感情だった。しかし、今回の数々の事件でこれほどまでに社会的にも個人的にも許せない事があっていいのかと、その一人の人物に対して身も心も怒りに満ち、憎悪でいっぱいになり、ここに刀があったらすぐにでも斬ってやると長い間、思うほどの恨みを買った人物はいなかった。この恨みは念となり相手を苦しめる事になるかもしれないとだんだんと2012年になって思えるようになってきたが、それでもこの憎悪はなかなか小さくならなかった。
遺伝子というものは長い間の習慣化した記憶を保存している。Aの先祖に武士の血筋があるということは長い間、数百年か千数百年か分からないが、ひとたび刀をもったらその遺伝子が思い出し、人を斬る事は簡単にできてしまうかもしれない。実際に、母方の祖父はそれを警戒して刀を売ったそうだ。Aは昔から優しい、笑顔がいい、癒し系キャラ、おとなしい、など穏やかな性格に観られていたし、甘く見られることも多かった。自分でも穏やかな方だと思っていた。しかし、何か許せないくらい怒らせるものがあると、感情を抑えるのは難しい。武士は平時には穏やかだが、有事には人が変わるという話しがあるが、遺伝子がそうさせるのかもしれない。
普通の時はそんなことは起こりえないが、忍耐の限度を超えた時はいつその遺伝子が発動するか分からない。ということをその人物は知っておくべきだと思った。


2012年7月31日
研究室の秘書のKさんから姉の電話に、これからの手続きについての連絡があり、後日書類が送られてきた。
退学して半年経ってからまた再入学するか、それとも10月から復学するか、とのことだった。


2012年8月
このまま黙っていても誰のためにもならないのではないか、また、問題を抱えているとこれ以上自分の症状も改善しにくいのではないか、病状が回復するに従って感情も少しずつ落ち着き、少しはコントロールすることができるようになってきて、今まで憎しみを抱いてしまっていた相手がいたがその気持ちが小さくなってきたということもあり、今まで自分の記憶にある情報、調べた情報の中でのことなので当然考えには偏りもあるし、間違いもあるだろうから、相手方の意見を聴くこともしてなるべく平和的に建設的に解決したいと思い、また、自分のこの経験を生かせるならば大学の仕組みや環境が良くなるように自分にできることがあれば何かしたい、自分もいつまでもこの問題を抱えていると本当に疲れてしまうし、また多くの人に迷惑をかけるようなことはしたくないし、このままでは誰のためにもならないので早く問題を解決し前に進みたいと思い、大学の相談室に相談しようと思うようになり、8月の中旬に電話をかけて相談するに至った。


2012年9月下旬
SMから相談室経由で退学や復学に関しての案内があったが、退学届の理由には、一身上の理由と書くようにと書いてあった。個人的な理由で退学する、というようにさせたいという意図が感じられた。これまでの休学届の時も毎回、経済的理由と書くようにと書いてあった。制度的にそうしか書きようがないのかもしれないが納得がいかないことだった。

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