2009年6月3日?
AはASの自宅に招かれ、研究に関する工事の見学に参加し、またASと研究テーマについて話す。
ドイツで行っていた研究内容をそのまま日本ですることはできないと言われ、ASの怪しい一面も見る。
途中からトルコ人留学生の男性も来た。
AはASに数日前にどんな研究をやりたいのかまとめてもってきてと言われていたので、レポートとしてまとめたものを持ってきた。それについて企業の人達が来る前、そして帰った後にASと(企業の人達が帰った後はトルコ人留学生も含めて3人で)話し合った。
Aはあくまで建築としてのインフラフリーを研究したかったので、IF技術を盛り込んだ意匠的にも機能的にも快適性にも富んだ建築の研究開発をしたいと思っていた。それは学部生だった時にASと面談して、できる内容だと言われていたので、大学院でそのような研究をしたいと思って受験し大学院に入った。そしてその後もその方向で研究の準備や活動をしていた。しかし、2009年のその頃になって、それはできないと言いはじめ、インフラフリー技術を開発するために参考になるような技術をデータとしてまとめてそれを統計し的確な組み合わせを見つけるという研究をやったらいいのではとアドバイスされたが、すぐに納得できずにいると、ASは
「いいから、やれ」
というようなことを強い語気で言い放った。強い恐怖感と戸惑いを感じた。
その日から憂鬱な日が増していった。そして、徐々にAS自身とASの研究に対する違和感が大きく感じられるようになっていった。
2009年6月上旬
その後すぐのグループ研究会議で研究テーマを変えようとSMに相談し、一時的に研究テーマをASのインフラフリーから独自のテーマに変えた。しかし、今までずっとその研究の方向性で考えてきたし、奨学金の応募でもそれを書いてきたし、また、2008年にASの指導により助成金を申し込み受諾されていたのでその責任からも研究を続けた方がよいと思ったし、留学中もその関連の研究をしていたし、串本の調査も共同でやっていたし、そんなに簡単に割り切れるものではなかった。そして、新しい研究テーマと並行させて今まで通りASの研究活動にも参加を続けた。
6月頃だったと思うが、就職の話を聴きたいと思って同期の人から話を聴いていたが、その人は自分と同じように他大学から大学院に入ってきたのだが、就職がなかなか決まらずに困って当時就職担当だったSMに相談しに行ったそうだ。そうしたら、
「君は外部生(他大学から進学してきた学生)だから難しい」
というような話があったらしい。確かに外部から入った学生と内部から進学した学生ではいろんな面で違いが出て来るのは確かだと思うが、その人は何か差別されたように感じたと言っていた。
2009年7月
自分の性格やものの考え方が少しおかしいのではないか、社会に出る前に直せる部分は直した方がいいんじゃないかと思って、ふと大学の安田講堂内にある学生相談所に寄った。最初は軽い気分で相談してみようと思ったが、カウンセリング室に通され、カウンセラーと1対1で相談することになった。
その時はそこまで鬱状態はひどくなかったが、相談を何回か受けていると、自分の悪いところを意識的に認識してしまったのか、ますます鬱状態がひどくなっていった。
それから数日後か1、2週間後、本格的にうつ状態が強まり、研究も就職に関しても生活も何もすることができなくなっていった。布団から出るのも恐怖を感じるようになったり、就職用のものを見たり、エントリーシートを考えることもできなくなってしまった。
なんとか改善しようと大学のカウンセリングをまた何回か受けたが逆効果でますます症状がひどくなり、その担当のカウンセラーの人に薬を飲めば安定するから、大学内の精神科では薬を出す事はできないから、まずは大学内の精神科に行き事情を説明し診断書を書いてもらって、大学外の病院に行って薬をもらって飲むようにと言われた。
そして、安藤事務所へのインターンに出発する直前の8月初旬に本郷三丁目のクリニックに行き、薬(抗うつ剤と睡眠導入剤)をもらい、飲み始めた。
2009年から同じ研究テーマに取り組んだ同期のS君は最初の方は積極的に研究活動にも参加していたが、徐々に研究室に来なくなってきた。
2009年の秋頃までに知っていたのはASの研究に沿った研究テーマで研究をしていたが、論文を出したのかどうか今現在も連絡をとっていないので分からない。ゼミにもだんだんと来なくなっていたし、普段学校に来る事もかなり減った。
この研究室には同期の間にも不和があった。自分としてはみなと支障なく仲を保って研究室生活を送りたかったが、気に留めなくてもいいことに気を留めて人のことをなんだかんだと言ったり、どうやら故意に雰囲気を壊す人たちもいた。正直やりづらい雰囲気だった。東大に入ってまでこのような子供のような環境があるとは思わなかった。
先輩の話ではSMは人のプライベートな噂話が好きだと言っていた。気に入られるためにはネタがあった方がいい、というようなことも言っていた記憶がある。
ASから6月か7月に、文部科学省や大手ゼネコンと協力してインフラフリーモデル住宅の設計や実験をやろうとメールで誘いが来た。その日から決定的にうつ状態?になった。頭の血がさあっと引いていき、気が遠くなり、建設的に冷静に物事を考えることができなくなっていった。
瞑想の本を買って、雑念を払おうとしたり、同期の人が厄年だから神社でお祓いを受けたという話を聞いて、8月のゼミ合宿後すぐに藁にもすがるような思いで根津神社にお祓いに行って、なんとか態勢を立て直そうとするが、良くならなかった。
自分の考えや主張、やりたいこと、今まで考えていたことや夢、趣味、いろいろなことがぶれたり、関心が全くなくなったりした。建築に対しても関心を示す事ができなくなっていった。ただ脱線しないように自分を駆り立てることしかできなかった。
幽霊の存在や占いなど、以前までそれほど信じていなかったものを強く信じ込み、頭から離れなくなった。
ASがなんだか変だと感じたのが、2009年6月か、薄っすらとは4月に資料を渡されて調べておいてと言われた時からか。
4月になんとなく勘が働いたのか、本当にこの人は信用に足る人なのかと意識的ではなくなんとなく感じるようになった。
また、6月頃にセルカンカレッジに行った日から不信感、違和感がひどくなった。
そのセルカンカレッジというのは一回出るのに1万円を講習費として出す必要があるAS主催の講習であった。自分をはじめイタリア人のVや研究室の後輩も出ていたが、1万円も出してまで聴く価値のある講義だとは思わなかった。言っている事も当たっているような当たっていないような疑問点が多かった。金儲けの臭いがして不信感が強まった。
自分が精神的に本格的に追い込まれたのは、2009年6月か7月にASがプロジェクトをもちかけ、学生に話を進ませ、自分では全くと言っていいほど関わらず指導せず、自分は後輩と先輩の中でどのような立場、進め方をすればいいのか分からなくなったことが、精神的におかしくなった起爆剤の一つになったのは確かである。
ASがおかしく感じたのは、前に言ったこととその時に言っていることが大幅に変わる事が多かったこと、研究の話し合いで家に行った時に派手な服装を来て人に会いに行くという時に自分がそんな服も着るんですねというようなことを言ったらAにバカにされたというような変な態度、無理やり自分の意に沿う調査や論文をやらせようとした、それは自分が事前にできるかどうか聞いておいたこととあまりにも乖離したものだった、研究がどのくらい進んでいるのかどういう全体像でやっているのかほとんど分からなかったし聞いても妥当な答えが返って来なかった、それで自分は何ができるのか何をしたいのか分からなくなった、などたくさんある。
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