2009年4月
帰国して直後、留学報告を兼ねて資料を作り、研究室のグループ発表に出たが、SMは時間がないから今度の5月28日にある研究室会議のときでいいとAの進言を断る。その予定されていた5月28日の会議にSMは別の用事があると出席しなかった。
7月の留学報告会当日も時間を理由にAの発表を短くするように言ってきた。何回も発表の機会を妨げて自分の発表を聞きたくないかのように感じられ、自分が何か気に障るようなことをしたり言ったりしたのではないかと不安に思い混乱し、自分の2008年以降の態度が悪かったのではないかと後悔を強めていった。
別の日、研究室のガラステーブルでSMが時間が余ったからと自分に就職について話かけてきた時に、Aが海外留学についても考えていると話したら、SMは「まだ学ぶのですか?」と言った。
また、研究職も考えていると言うと、
「研究で生活するためには、3度の飯より研究のことが好きくらいじゃないとできない」
というようなことも言っていた。
しようと思えば卒業できるのだから社会情勢を考えても就職した方がいいと、自分のことを思ってのアドバイスであったと思ったが、就職の時期については留学する前までは卒業をのばさずに2010年3月に卒業する考えでいたが、Ausmipに参加してきた先輩の話を聞いても卒業を一年のばす人は多く、自分も将来考えられる選択肢が広くなって色々と考えたかったのだが、将来について考えていることをあまり良くは考えていないようにも感じられた。確かに社会情勢も荒れる中、悠長に考えている時間はなかったが、留学期間が7か月間で帰国してすぐに将来の進路を決定し就職活動をするということが難しく感じられた。
自分は昔から海外に出れるならば出てみたいという志向だったので、せっかく留学していい感触を得たのでもう一度留学かインターンか何かしてまた海外に出て生活したいと思っていた。
留学中、設計課題はドイツ人学生も留学生も多い中、自分は上から二番目の成績をおさめた。特段たいしたことでもないし、自分にはそこまでの設計の才能があるとは思っていなかったが、日本ではあまり設計の評価は高くなかったから認められたような気がして嬉しかった。Lさんには、自分が前から憧れていた設計事務所であるスイスのHerzog & de Meuron事務所に行けるんじゃないかと言われ、チャレンジできるならばインターンだけでも行ってみたいと思っていたが留学が終わるまでに東大から就職して実際に働いている先輩とコンタクトをとることができず訪問を断念したということもあったので、帰国してからまたチャレンジしてみたいと思っていた。
また、PhDとしてミュンヘン工科大にまた来ればいいともアドバイスをもらっていた。
また、研究でもB教授やLさんに自分が考えていることが認められているように感じられ非常に嬉しく充実していた、ということもあったり、性質的にも海外の方が自分はあうのではないかとも前から思っていたのもあるので、また海外に出てみたいと思っていた。
また、研究しながら設計も行う教授職を仕事にできたらいいなと学部の頃から考えてもいた。
海外で意匠のスキルを育て、日本でASの研究を進めることができれば自分が思っていたようなことができるのではないかと考えていた。
また、留学して改めて日本と海外のそれぞれの文化の違いや長所短所を観ることができ、何か国や世界のために小さいことでもできる仕事をしたいという想いもあったので、研究内容を生かしてそれをできないか考えていた。
自分としては卒業時期をのばし可能性をよく吟味してチャレンジできるものはチャレンジしたいと思っていた。
また、自分はこれまで少しずつ積み重ねていって成り立ってきたので、そう簡単に登って行く事もないだろうし、チャレンジできるものはチャレンジして、焦らず経験を積んでいければと昔から考えていた。
研究室花見
AとTA君がみなの前で留学から帰ってきたことを報告した。その後にSMの前に二人が通された。G先輩がFNについてSMに話を振ったが(留学中の思い出話)、SMはこれを遮りTAの就職相談を始めた。Aは留学中に研究や設計課題などの話や、思い出話をしてSMに報告して、留学のお世話になったことへの感謝を伝えたいと思っていたのに、避けられているような違和感を感じた。これ以降、SMに避けられていると感じられる言動がしばしば見られるようになっていき、距離が少しずつ遠く感じられるようになった。
AはドイツでLさんと行っていた研究テーマを日本でASとともに続行させるためにASが過去に行った研究実績の資料(大学が発行しているもの)を借りて調べていた。
帰国してまもなくSMの名刺を整理するアルバイトをした。他にもAは少しでもSMとの距離を縮められるようにと、また早く日本、研究室の生活に留学が終わってもう一度慣れようとしていた。
いつ頃か、SMの授業に出ていて、SMが自分の子供も優秀なため東大に入ったと言っていた。ドイツでも子供の教育に力を入れているということを聞いたので、家庭にも力を注いでいる立派な人なんだなと思った。
この頃に別の研究室の同期のK君に
「まだASの研究をやっているの?」
となんだか妙な感じに聞かれた。その時はなぜそう聞くのか分からなかったが、少なくとも彼はASが怪しいということを知っていたのかもしれない。
研究室の先生たち学生たちで昼食を食べに行く途中で、同じ部屋を使っている研究室の准教授であるKF先生が、Aの前の大学での指導教員だった、しかもSMにとっては先輩であるSF先生の還暦祝いの会での話をSMに聞かせた。SMはAの目前で
「子供はいつになっても子供ですね。」
というような発言をした。AがSF研究室出身であることを知りながら平気で言った。
自分は都立大学の時にSF研究室に入れてよかったと思っていたし、SF先生のことも尊敬していたし、SF研究室が嫌で大学院を変えたわけでもないし、ASの研究に魅了を感じてSM研究室に入ったので、どう反応すればいいか板挟みになったような感じだった。
帰国して直後、留学報告を兼ねて資料を作り、研究室のグループ発表に出たが、SMは時間がないから今度の5月28日にある研究室会議のときでいいとAの進言を断る。その予定されていた5月28日の会議にSMは別の用事があると出席しなかった。
7月の留学報告会当日も時間を理由にAの発表を短くするように言ってきた。何回も発表の機会を妨げて自分の発表を聞きたくないかのように感じられ、自分が何か気に障るようなことをしたり言ったりしたのではないかと不安に思い混乱し、自分の2008年以降の態度が悪かったのではないかと後悔を強めていった。
別の日、研究室のガラステーブルでSMが時間が余ったからと自分に就職について話かけてきた時に、Aが海外留学についても考えていると話したら、SMは「まだ学ぶのですか?」と言った。
また、研究職も考えていると言うと、
「研究で生活するためには、3度の飯より研究のことが好きくらいじゃないとできない」
というようなことも言っていた。
しようと思えば卒業できるのだから社会情勢を考えても就職した方がいいと、自分のことを思ってのアドバイスであったと思ったが、就職の時期については留学する前までは卒業をのばさずに2010年3月に卒業する考えでいたが、Ausmipに参加してきた先輩の話を聞いても卒業を一年のばす人は多く、自分も将来考えられる選択肢が広くなって色々と考えたかったのだが、将来について考えていることをあまり良くは考えていないようにも感じられた。確かに社会情勢も荒れる中、悠長に考えている時間はなかったが、留学期間が7か月間で帰国してすぐに将来の進路を決定し就職活動をするということが難しく感じられた。
自分は昔から海外に出れるならば出てみたいという志向だったので、せっかく留学していい感触を得たのでもう一度留学かインターンか何かしてまた海外に出て生活したいと思っていた。
留学中、設計課題はドイツ人学生も留学生も多い中、自分は上から二番目の成績をおさめた。特段たいしたことでもないし、自分にはそこまでの設計の才能があるとは思っていなかったが、日本ではあまり設計の評価は高くなかったから認められたような気がして嬉しかった。Lさんには、自分が前から憧れていた設計事務所であるスイスのHerzog & de Meuron事務所に行けるんじゃないかと言われ、チャレンジできるならばインターンだけでも行ってみたいと思っていたが留学が終わるまでに東大から就職して実際に働いている先輩とコンタクトをとることができず訪問を断念したということもあったので、帰国してからまたチャレンジしてみたいと思っていた。
また、PhDとしてミュンヘン工科大にまた来ればいいともアドバイスをもらっていた。
また、研究でもB教授やLさんに自分が考えていることが認められているように感じられ非常に嬉しく充実していた、ということもあったり、性質的にも海外の方が自分はあうのではないかとも前から思っていたのもあるので、また海外に出てみたいと思っていた。
また、研究しながら設計も行う教授職を仕事にできたらいいなと学部の頃から考えてもいた。
海外で意匠のスキルを育て、日本でASの研究を進めることができれば自分が思っていたようなことができるのではないかと考えていた。
また、留学して改めて日本と海外のそれぞれの文化の違いや長所短所を観ることができ、何か国や世界のために小さいことでもできる仕事をしたいという想いもあったので、研究内容を生かしてそれをできないか考えていた。
自分としては卒業時期をのばし可能性をよく吟味してチャレンジできるものはチャレンジしたいと思っていた。
また、自分はこれまで少しずつ積み重ねていって成り立ってきたので、そう簡単に登って行く事もないだろうし、チャレンジできるものはチャレンジして、焦らず経験を積んでいければと昔から考えていた。
研究室花見
AとTA君がみなの前で留学から帰ってきたことを報告した。その後にSMの前に二人が通された。G先輩がFNについてSMに話を振ったが(留学中の思い出話)、SMはこれを遮りTAの就職相談を始めた。Aは留学中に研究や設計課題などの話や、思い出話をしてSMに報告して、留学のお世話になったことへの感謝を伝えたいと思っていたのに、避けられているような違和感を感じた。これ以降、SMに避けられていると感じられる言動がしばしば見られるようになっていき、距離が少しずつ遠く感じられるようになった。
AはドイツでLさんと行っていた研究テーマを日本でASとともに続行させるためにASが過去に行った研究実績の資料(大学が発行しているもの)を借りて調べていた。
帰国してまもなくSMの名刺を整理するアルバイトをした。他にもAは少しでもSMとの距離を縮められるようにと、また早く日本、研究室の生活に留学が終わってもう一度慣れようとしていた。
いつ頃か、SMの授業に出ていて、SMが自分の子供も優秀なため東大に入ったと言っていた。ドイツでも子供の教育に力を入れているということを聞いたので、家庭にも力を注いでいる立派な人なんだなと思った。
この頃に別の研究室の同期のK君に
「まだASの研究をやっているの?」
となんだか妙な感じに聞かれた。その時はなぜそう聞くのか分からなかったが、少なくとも彼はASが怪しいということを知っていたのかもしれない。
研究室の先生たち学生たちで昼食を食べに行く途中で、同じ部屋を使っている研究室の准教授であるKF先生が、Aの前の大学での指導教員だった、しかもSMにとっては先輩であるSF先生の還暦祝いの会での話をSMに聞かせた。SMはAの目前で
「子供はいつになっても子供ですね。」
というような発言をした。AがSF研究室出身であることを知りながら平気で言った。
自分は都立大学の時にSF研究室に入れてよかったと思っていたし、SF先生のことも尊敬していたし、SF研究室が嫌で大学院を変えたわけでもないし、ASの研究に魅了を感じてSM研究室に入ったので、どう反応すればいいか板挟みになったような感じだった。
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