2010年春
その後は、母と妹が浪江に帰って、Aは一人東京で過ごすことになった。しかし、外に出ることもできず、学校にも行けず、ずっと部屋に引きこもる状態が続いた。
春になると妹が仕事のために上京してきた。最初のうちは母も一緒に暮らした。
その後、妹と二人で暮らすようになった。
そのころに研究室のKM先輩とTA君が家に来てくれた。SMが医者に行くように駒込の近くの医者を探してくれたそうだ。それと研究室には休学しててもいつでも来れるから来れるようになったら来なさいと言っていたそうだ。しかし、医者はおろか外にも出る気力や勇気も出ず、家族の支援や理解も核心まで届かず、それ以前に医者や薬も信用できなくなっていた。それ以上に、この現実が信じられなかった。
その前後にAはASが大学側に懲戒処分されたことを知る。
Aは怒り狂いながらAS関係の本や資料を破り捨てる。しかし、何も変わらなかった。捨てることによって過去へ戻れると信じて捨てた。もう完全に気が狂っていた。
駒込、浪江にいた頃は、本当に毎日、いつも、地獄のような感じだった。
苦しみ悶えて、じたばたして、手足をこすり、目の下は痙攣し、脈は乱れ、呼吸も乱れ、夜は眠れず昼も眠れず、頭は押さえつけられているようにしめつけられているように痛く、誰にも頼れず、自分も信じられず、その瞬間を生きていること自体が苦痛過ぎて死にたいとずっと思っているような日々。まさにこれを地獄と言わないでなんと言えばいいか分からないような日々だった。まさに高い所から落下しているのを体感しているような感じだった。すぐにでも床が抜けてさらなる地獄へ落とされるのではないかと思えるほどだった。
自分は今までの人生で、それなりの自信をもって自分を肯定していたが、病になり、簡単な、小学生でもできるような問題もできなくなり、新しく覚えることなどほとんどできなくなり、パニックになり、自信を極度になくした。
うちの家庭は基本的にいい意味での自由、放任主義で、経済的にもあまり余裕のない家庭だったが、その御陰もあり自分は向上心、向学心を培うことができたという部分もあり、親はそんなに自分に対して期待はしていないようにも観えていたが、それでもこういう状況になって何もできなくなった自分を観て、ひどく悲しんだ様子だということが察することができる。自分は長男で他に男の兄弟がいないため、自分には将来、親を世話する仕事もあると子供の頃から少しずつ考えてはいたが、このようになって迷惑と世話をかけることしかできなくなり、申し訳ない気持ちとやるせない気持ちでいっぱいだった。
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