2013年5月26日日曜日

突然考え方が変わった


2010年冬
夜に外に出て、家(寮)の敷地内から空を見上げ、星を見る日が何回かあった。流星群も見ていた。流星に向かってすがるように昔の安心だったころに戻れるようにと祈っていた。
この頃に家(寮)の談話室に地デジ対応のテレビがやってきた。そこでBSやCSなどの番組を見ることで、少しずつ気分が変わっていったようにも感じる。


2010年に浪江にいた頃も、2009年に駒込にいた頃も、死刑や飛び降りている人をテレビで見ると、いつか自分もこうなると恐怖にかられていた。


2011年2月初旬
いまだに自殺願望は続き、先を考えることはとてもできなかったが、ある頃から、この病になったのは自分にも性格的なものや育った環境などで多少の種はあったのかもしれないにせよ、本当の原因は実は自分の他にあったのではないかと思うようになった。もちろん、自分にも原因があるし、至らないところばかりだったからこうなったのだとずっと思っていたが、少しずつ、建設的なことを考えられるようになっていった。
今回の自分の場合、全て自分の過失なのか、それとも、大学側の過失が大きかったのか、考えるようになった。
自分は実は被害者でもあるのではないかと思うようになった。今までずっと自分を責め続けてきたので、これが現実であるならば、自分が悪いのだと信じていたが、そもそもの原因を記憶をたよりによく考えるようになっていった。
情報が得られないので、現在、どのようになっているか知ることができなかったが、姉からその頃に手紙が届いた。それによると、ASは処分され、SMの処分も大学側が検討しているとのことだった。やはり、そちら側が悪かったのではないか、それがなければ、自分は今このような状態になっていなかったと考え直すようになった。事実、2009年3月までドイツにいたころまでは、海外生活で生じる困難も、トラブルも苦に感じることも少なく、楽しく過ごしていたし、過去の自分を思い出しても結構前向きな性格だったのではないか、マイナス思考がプラス思考を上回ることはなかったのではないかと思うようになった。
しかし、この時もまだ自分自身を信じられない状態だったので、この考えが正しいのか、間違っているのか、本当の自分とはどのようなものだったのか、いまだ現実と非現実世界を行き来しているかのようだ。


2011年2月5日
この日から、これまでのいきさつや自分の状態、過去にあったSMやAS、大学側とのやり取り、これからの方針などを書きだすようになっていった。

2月6日
闘うのはやはり間違っているのではないか、自分にはできないのではないかなど、消極的な気持ちがこの日を支配していた。精神的な不安定さがまだ激しく、自分ではコントロールできない。

2月7日以降
闘いが終わった後の人生も少しずつ考えられるようになった。それとともに少しの希望も感じるようになっていった。

2月10日
母がSMから送られた手紙を見せてもらったが、そこには以前のように休学するのかどうかという内容、心配していたということ、自分の経験によると病院に行った方がいいということ、大学の事は心配しなくてもいいということ、焦らず無理をしないようにということが書かれたA4用紙一枚だった。また、研究室や大学で現在起きている内容、経過は書いておらず、姉から聞くまではAは大学で何が起きたのか何も知ることができなかった。姉はネットでたまたま観て教えてくれたそうだ。


SMから母に電話や手紙の内容
実家で医者に行きながら静養した方がいいのでは
大学は心配しなくてもいい(どんな意味だったのかは不明)
焦らずに無理しないように

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