このころ5月に同級生から安藤忠雄事務所でのインターンの話をもらい、夏に行けるよう頼む。本当は夏休み前にインターンに行き就職の判断材料にしたかったが、SMに止められ8月からになった。他の研究室では夏休みなどの長期休暇以外でも指導教員の判断でインターンに行くことは可能らしい(千葉研の韓国人留学生は6月頃に行っていた)。登録していた授業はSMの授業だけでほかには受けてなかったので、SMがいいと言えば行けたのでその当時は残念に思った。
4月か5月のSMの授業で、SMは受講している学生たちにこれから建築業界は危ないから、ITとか他の業種に移った方がいいかもしれないとはっきり言っていた。しかし、その年の秋に、Aが就職に対して精神が混乱状態の中、リーマンショック後の不景気でますます低迷する建築界にこのまま残っていていいのだろうかという不安が浮かんできて他の業種を探ろうとしていると聞くと、建設業界に文句をつけるな、悲観的に考えるなというような発言を他の同期と一緒にバルコニーで話していた時にAに言った。余計に当時のAは混乱した。
5月下旬にメールでやり取りした際にSMから
「日本人は昔から腹をくくることを大事にしてきました」
というアドバイスをもらったことがある。
しかしASに対する不信感がだんだんと強くなり、研究と進路の考えが余計にまとまらなくなり、腹をくくるにもくくれない状態になっていた。
帰国するまでは研究に関しては大学院に進学してからずっと一貫して同じテーマで考えてきたが、それができないのではないかという不安が強くなってきていた。就職も研究に連動して考えていたのでどちらも出口のない迷いの中に入ってしまった。
現在(2013年3月)になっても、SMは自分がASの事件の根本の原因を作り出し、その責任があるにも関わらず、謝罪どころか悪いとも思っていないようだ。
その根性があきれてものも言えない。
いつ頃かよく覚えていないが、SMは自身の授業か会議の時に、今の最大手ゼネコン5社(鹿島、大林、清水、竹中、大成)のうち3社はうちの研究室出身だと自慢するように言っていたが、おそらく内田研究室の出身である。なぜならば年齢的につじつまがあわないからだ。それを自分の業績のように言う態度はおかしいと感じた。そういう癖をASが観てまねをするようになったのではないか?
Aは同じ内田研究室の出身である東京都立大学のSF先生に師事したが、先生は内田先生のことを誇らしく語っていた。日本建築学会会長、東京大学第14代総長などを歴任され、安田講堂、総合図書館はじめ東大本郷キャンパスの主な建物のほとんどを設計され、1972年には文化勲章を受賞された内田祥三先生、その子で、東京大学名誉教授、元日本建築学会会長を歴任された内田祥哉先生と、現代の日本の建築界に大きな影響を与えて来た研究室の流れをくむSF研究室、SM研究室に入れた事はAにとって大きな誇りだった。その内田研究室の名を大きく傷つけたことは大変遺憾である。
2009年5月28日
Aは帰国後も研究活動を軌道にのせるために懸命に動き、研究テーマをこの日のゼミで発表した。しかし、ここにSMはおらず(研究室会議はSM、またはS教授、F准教授の都合で研究室会議を決めていて、この全体会議は週に一回で発表者は二人ずつ。この全体会議で学生が発表できるのは年に2回か3回しかない。)、4月にこの日に見るからと自分で言ったにもかかわらず、AはSMの指導を仰ぐことができなかった。また、他の先生も都合が悪くていなかった。
この頃からだんだんと必要以上に他人の言動や自分のささいな失敗などに気にかかり、それが頭を離れなくなる。
0 件のコメント:
コメントを投稿