2013年5月26日日曜日

出会い

2006年12月29日(28日または30日の可能性もある)
Aが他大の3年生だった時に東京大学大学院工学系研究科建築学専攻の先輩であるK氏の誘いで同大学M研究室 当時助手のASが取り組んでいたバードハウスプロジェクト用の模型製作を手伝うことになった。
その晩か次の晩あたりに手伝った学生はASとその秘書らに食事に誘われた。渋谷のキリストンカフェで食事をごちそうになり、AS執筆の書籍「タイムマシン」をサイン入りでもらった。ここにASの経歴について書かれていた。名刺に宇宙飛行士候補と書いてあったり、本の経歴にも驚くべきような経歴がたくさん書いてあり、このような人物と出会えるとはなんとも幸運だと思った。
AはASの研究内容を聞き、これからの社会に必要で、この研究を通して社会に貢献できるならば願ってもないことだと思った。また、Aは高専の頃から向学心のある人たちと切磋琢磨して自分をのばしたい、それをもって社会に貢献したい、という想いがあったためか、ASの経歴や実績をその本や大学の研究室のホームページやネットで観て、大学院でこのような人と研究活動をできるならば今までの夢や希望を叶えることができるかもしれないと東大M研究室の受験をその頃から強く考えるようになる。ASの研究のスポンサーにはみずほ銀行、NASA、JAXAなど名だたる名があったが、今では本当だったかは疑わしい。
高専の時から東大に入りたいと思っていたことや、高専での勉学に満足がいかず、より勉学に力を入れている明石高専へ転入学しようとして校長や副校長などとも話し合ったが結局あきらめてしまったこと、大学編入学試験の時期に事故や生活環境を変えてしまったため自分の実力を出せなかったという想いもあり、前々から大学院で東大をまた目指そうとは思っていたことも大学院を目指す動機の一つになっていた。

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