2013年5月26日日曜日

ドイツに留学

2008年5月上旬
Aは第六回AUSMIP派遣生としてドイツ・ミュンヘン工科大学へ留学することが決まった。
自分の研究テーマに沿った研究を行うにはミュンヘン工科大学が一番適切だと思い同大学を留学先として選んだ。

これ以降留学まで、AはASに従って研究活動をしていた。

Aの父の父方の家系は東大や旧帝大に行ったりする人が多いと聞いたが、うちの父は例外的にかどうか分からないが家庭の経済状況は学費を払えるほど余裕はなく、Aは高専時代から授業料免除や奨学金を借りたり、自分でアルバイトを高専1年生の頃からして学費や進学に必要な資金、生活費を貯めて出してきた。学部の頃も授業料免除をしていただいたり、民間企業や町の福祉協議会、日本学生支援機構から奨学金を借りる事でなんとか大学に通えていた。大学院に進学してからも日本学生支援機構の第一種と第二種を借り、民間の給付型の奨学財団、3財団から奨学金を投資していただくなど、税金や民間企業の奨学金にお世話になることで、また自分でアルバイトをすることで、なんとか学業を続ける事ができた。また念願の留学もすることができた。
高専時代からそういうこともあり、いつかは社会に還元できるよう、少しでも世の中のためになる研究や仕事をしたいと常々思っていた。また、それが当然のことだと信じていた。
高専時代から建築家の設計事務所で仕事を手伝わせてもらうなど経験を積む事にも積極的だった。
ASの研究はこれからの社会に必ず必要とされるものだと期待したし、自分でもその研究活動を通して社会に還元できればと強く思っていた。
そういうこともあり、ASの経歴や業績が詐称である部分が大きかったということを知った時は相当のショックだった。


2008年9月からドイツ・ミュンヘンで留学生活が始まった。
9月は主に語学や文化、交流などの講座に参加していた。
10月から翌年2月、3月まではスタジオ設計課題「eco unicity」、T教授(内田研究室に昔留学していたミュンヘン工科大学の教授)とL氏(T教授の研究室でASの研究に興味をもってドイツで研究を進めていた)のもとでの授業を受け研究活動などを主にしていた。


2008年秋
AはSMが目の病気にかかり入院したと聞く。Aは心からSMの健康状態を心配していた。
後で分かったことだが、SMはその病気が発端でうつ病にかかり、高校時代か大学時代の友人が勤める聖路加病院の精神科に通っていたそうだ。しかし、どの程度のうつかは疑問である。抗うつ剤や睡眠薬を処方してもらっているらしいが、本当にうつで危険な状態だったら、他の先生に学生の研究指導を応援してもらうなどの措置は取るべきだと思う。しかし、そのようなことはせず、回復後、前と同じように仕事をしていた。少なくともAが実際に見ていた2009年4月からはそうであった。


2009年3月30日
日本へ帰国

留学中は設計の授業、B教授とLさんによる授業と研究活動、語学の授業などで普段はそれ以外にすることはほとんどできなかったが、長期の休みがとれる時には建築を観に欧州をまわっていた。

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