2013年5月26日日曜日

引きこもり生活


2010年年明け
浅草浅草寺、明治神宮に母と妹と参拝した。外に出るのも怖かった。その数日後に母と妹は浪江に帰った。Aも東京に一人でいることもできず、大学にも行けず、何もできず、その数日後に浪江に帰った。

この頃かもう少し前か後か、現実が信じられず、感情もコントロールできず、パソコンの動作が鈍くなっていた時に強く叩いてだんだんと壊れてしまった。


2010年1月上旬から2月上旬
再び浪江で静養することになったが、すでに友人はじめ誰かと連絡をすることはできなくなった。
朝起きてから寝るまで何もやる気が出ず、テレビを見るくらいだった。外にも出る気がおきなかった。夜はなかなか眠れず夜中に何回も恐怖とともに起きた。何かにすがるようにしたり、謝ったり、怖がったり、尋常ではいられなかった。
なんとか研究室の同期が卒業旅行に行くという連絡を観る事はでき、一応参加するということになったが、行ける気は全くしなかった。その当日は自分は命を絶ちにヨーロッパにいた。その後、なぜ当日来なかったのか同期の人から連絡が来ていた。誠意のある対応を望むと書いてあった。その後、ヨーロッパから帰るしかなくなり、それからしばらくした後、旅行代金はなんとかお金の取り仕切りをしてくれていた同期のTAくんに返すことができたが、それが精一杯だった。


母は大学のカウンセリングから電話が来て相談しに行った。FNは全く行く力が残っていなかった。
そこで母はどのような説明をしたのか分からないが、その人か話をしたカウンセリングの人に、自分はいい経験しかしてこなかったから甘い考えなのではないか、失敗したことがないのではないか、逆境を知らないのではないか、挫折を味わったことがないのではないか、などと言われたそうだ。それを母から聞いてもなんとも思う気力も起きなかったが、今(2012.1.30)思うと、カウンセリングの立場で、しかも母親が部分的に話したくらいでなんでそんなことが判断できるのか疑問である。
その後もカウンセリングでは様子を見たいと言っていたが、その後、連絡があったかどうかは分からない。


この頃、以前より知っていた事だが、Ausmipなどで海外留学をしていた学生は申請すると、優秀な業績を残したと判断されれば日本学生支援機構の第一種奨学金の返済が免除になるというシステムがあるらしく、申請したかったが、もう現実を信じることが全くできなくなっていたため、申請することができなかった。

この時期からAは東京の駒込のアパートにいることは少なくなっていくが、長期間いない時でも空家賃を払っていた。自分でできない間は母が代わりにATMで振込をしてくれていた。
2010年の2月、7月から解約した2011年3月までを計算しても空家賃は10ヶ月分、月70000円の家賃だったので合計70万円は空家賃を払っていた事になる。その他にも光熱費の基本料金も空払いしていた。奨学金を多めに借りていたから払うことができたが、部屋を解約することもできない状態だった。

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